NGO列島縦断フォーラム 北海道ブロック大会 基調メッセージ 「地球のステージ1」から |
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ステージは、桑山さんの学生時代、五大陸放浪の旅から始まり、そして、活動を始めるきっかけとなったフィリピン、ソマリア、東ティモール、旧ユーゴスラビアをまわりました。人々の映像、桑山さんの語りを通して、私たちもまた彼らと、このステージで出会うことができました。 風船を持つロエナス |
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ソマリアでは、1993年からの内戦で約50万人が亡くなったと言われます。セスナのパイロットが「ソマリアの大地は赤く見えないか」と聞いたそうです。「それは、ソマリアの人々の血が、大地に染みこんでいるからだ」と。ソマリアの町では、家にバズーカ砲が打ち込まれ屋根も壁も崩れ、残った壁にも無数の銃痕があったそうです。自分がこんな目に遭ったら絶対にやり返す、と思わず感じたという桑山さんですが、でも同時に、それは憎しみを繰り返し戦争へとつながる感情なのだと思って寂しくなったそうです。重い言葉でした。戦争になると薬が入らなくなる。風邪というごく一般的な病気が、ここでは命取りになることもある。ソマリア滞在中、1歳半の幼い子供が2人、風邪で亡くなったそうです。「その小さな体を抱いたら、まるで紙袋のようだった」−。ソマリアの隣国にできた難民キャンプの子供たちとも、ステージで会うことができました。難民キャンプの子供は笑顔。その笑顔は、殺し合いをしない大人たちに囲まれているからだ、と桑山さんは言います。難民キャンプでは、結婚するカップルに出会ったそうです。殺し合いをする人間が嫌で逃げてきたのに、それでも人間を愛する姿に、ここでもまた光を感じたと話してくれました。 |
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東ティモールの都市ディリでは、8割の家が焼かれたと言われます。桑山さんは、ここで診療所を開くアメリカ人医師ダン先生を手伝います。東ティモール篇では、アカペトという少年と出会いました。マラリアで入院した12歳の男の子。入院したのに、誰もお見舞いにも来ない、毛布すら持ってきてくれない。その子に桑山さんが、誰も来ないことを聞くと、「9月4日に家に火が付けられて、家族はみんな死んでしまった」と言ったそうです。でも、独りぼっちじゃない。同じ境遇の子供たちが仲間となって、一緒にゴミ拾いの仕事をしているんだ、と。 旧ユーゴスラビア篇、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボでは、「静かなる戦争」について聞きました。学校のポスターに、姿が白くくりぬかれた女の子の影が映っていました。「地雷は君の友達を奪った」。地雷を取り除くには、これから60年かかるそうです。戦争はずっと続いているのだと教えられました。難民キャンプには、大きく破けた靴を履いた男の子がいました。お母さんは靴を修繕したけれど、修繕しきれないほど大きな穴。この靴を履いて500kmの道を逃げてきたのだそうです。これから寒い冬になるのに・・・。地球のステージを見た小学校5年生の男の子から、桑山さんは手紙を貰ったことがあったそうです。その手紙にはたった2行、“あの靴が忘れられません。僕は靴が余っているのであげてもいいです”。 |
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最後に、おまけの話といって、パキスタンの男の子の話をしてくれました。昨年10月8日に起きた大地震の被災地の村。人口6万人のうち、6000人を越す人が亡くなり、そのうち3500人が子供だったそうです。そこで出会ったワジームという13歳の男の子。桑山さんが風船をあげようとしたら、僕が欲しいのは命を守るものだ、と言って風船を突き返してきたという男の子。桑山さんは、日本に帰ってから、ワジームに渡すべきものを考え、またパキスタンへ渡ります。将来は何になりたいの、と尋ねる桑山さんに、ワジームは最初、軍隊に入りたい、と答えたそうです。地震が起きたときいろいろ助けてくれたから、と。でも、しばらくして、本当はカメラマンになりたい、と教えてくれた。世界中の綺麗なものをたくさん撮りたい、と。 |
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私もまた、ステージで出会った子供たちの笑顔を忘れられません。名前、年、家族の話、ゴミで作ったアクセサリーやおもちゃ。彼らのひとつひとつを憶えていたいと思います。 (文責:西山) |
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